「 本当におかしくなった日本の姿がくっきりと浮かんだ“日の丸事件” 」
『週刊ダイヤモンド』 2009年9月5日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 803
民主党が「日の丸」を破って2枚を継ぎ合わせ、民主党旗を作っていたことが、麻生太郎首相の指摘で明らかにされたのは、少し前のことだった。
国旗への敬意も繊細さも欠いている民主党とは対照的な出来事が、お隣の韓国で起きていた。先に死去した金大中元大統領の国葬の締めくくりの場面でのことだ。
ソウル国立墓地で、棺とともに国旗である太極旗を遺族の希望で土中に埋めたことから異例の事態は始まった。埋葬後、「霊柩を覆った国旗は霊柩と一緒に埋葬してはならない」「国旗に土をつけてはならない」と、国旗法で定められていることを指摘された遺族ら関係者は、急遽墓を掘り返すことを決めた。土に覆われた真新しい墓所は暴かれ、太極旗が回収された。
この前代未聞の成り行きに、韓国の友人たちは怒っている。北朝鮮寄りの政策を取り、韓国の正統性を否定し続けた金大中氏は、死してなお、太極旗を辱めるのかという怒りである。
それにしても、隣国には国旗法があり、国民、国家の統合の印としての太極旗を手厚く守っている。隣国の人びとの目に日本の民主党の、日の丸に対する思いの欠如はどう映るだろう。
日の丸を切り裂き、2枚つないで民主党旗を作った人々、あるいはその旗の前で多くの人々に講話をしながら、旗の異常を気にもとめなかった民主党議員や候補者の、日の丸への愛情のなさや無関心には暗澹たる思いだ。
この日の丸事件になにがしかの先行き不安を感じない人びとは、国や民族にとって国旗が意味するところを知らないだけでなく、日の丸についての先人の思いも知らないのではないか。
日の丸が現在の白地に赤い丸になったのは源氏以来のことだ。源氏に敗れた平家の旗は赤地に白、あるいは金色だった。
源平の戦いは屋島の合戦で山場を迎える。美しく飾った小船が一艘、沖合から渚に近づく。船上には赤い袴を着けた着物姿の「まことに優なりける(じつに優雅な女性)が」「船中より出でて」「紅(くれない)の扇の日いだしたる(紅地に金色の日輪を描いた扇)」を、高々と揚げ、手招きした。
「この扇を見事、射てみよ」と挑んだのだ。源氏方から扇を射るのは那須与一である。小船が波に乗り、あるいは沈み、大きく上下する。与一は目をつぶり、南無八幡大菩薩と、神仏に祈る。
与一は「扇のまん中射させて賜はり候」と祈るが、実際に射たのは扇の要の一寸上だった。源平合戦の絵には、要を射抜かれた扇が宙を舞っている。
日本統一の象徴、日本の象徴となされた日の丸は、毀損すべきものではないと、ご先祖の人びとが、当時から考えていたことがわかる。
時代が下り、欧米列強諸国に開国を迫られたとき、幕府は、日本周辺に押し寄せる外国船と日本の船をひと目で区別するために総船印を定めることになる。どんな旗を日本の船に揚げさせるのか。議論のなかで、德川(とくがわ)家の旗を総船印とする案も出された。
しかし、幕閣の阿部正弘(福山藩主)、川路聖謨(としあきら)(勘定奉行兼海防掛。つまり大蔵大臣と国防大臣を兼務)らは別の考えを持っていた。薩摩藩主の島津斉彬、前水戸藩主の德川斉昭らも、それに賛成した。そして、幕府は日の丸を日本の総船印としたのである。德川家の立場を超えて、日本国全体の立場に、德川家も德川幕府の閣僚らも立ったのだ。そのことに、私は日本人のすばらしさを見るのである。
このように、幾十世紀、幾十世代の思いが注がれ日の丸は日本の国旗となり、国民のあいだで定着してきた。それを無惨に切り裂いた「けしからんことをやった人間」(鳩山由紀夫氏)、そのことを取り立てて問題だと思わない民主党の面々と多くの日本人。本当におかしくなった日本の姿がくっきり浮かんでくる“事件”だった。